2006年4月4日火曜日

2006年度「蒐集の科学 II」

2006年度慶應義塾大学文学部設置総合講座 「蒐集の科学 II」

■講義要綱

私たち人間は何かを集めずにはいられない性をもつ。有形無形を問わず、人は自分を取り巻く世界から次々と何かを選び出し、手元に留めようとする。意図してこれを行えば、すなわち<蒐集>が始まる。

人はなぜ<蒐集>するのだろうか? 精神分析、近年の進化心理学・進化考古学系の着想などを参照すると、いろいろな仮設が考えられそうである(以下、略)。

芸術作品、歴史資料、科学標本、あるいは思い出のようなものであれ、それらは蒐集者とそれを取り巻く世界との接点の記録であり、蒐集者が手探りで描き出す世界の似姿となる。そして同時に蒐集者自身とその時代の姿、さらには限界をも映し出すだろう。ルネサンス期イタリアでは、メディチ家を始めとする有力者や教皇達が古典古代の美術品を蒐集し、18-19世紀には西欧列強の権勢のもと、地球上の各所から無数の標本・資料が持ち帰られた。前者が近代ヨーロッパの美意識形成に大きな影響を与えたこと、後者が博物学の興隆を支え、その中からラマルクやダーウィンの進化論が形成されたことは、いずれも良く知られるところである。

以上のように、ルネッサンス期から啓蒙主義の時代にかけて世界観の転換・拡大が重なり、それに見合って、蒐集の情熱がさまざまなかたちで燃え上がった姿が今日たどりうるわけだが、啓蒙主義以前の欧州ですでに包括的蒐集観が内示されていて、しかもそこには、現代のインターネット時代の蒐集観転換の未来展望の指針をも含んでいるという説もある。さかのぼれば、アリストテレスはすでに博物学的な蒐集を行って経験的観察をすすめており、近代に特徴的な蒐集技法や蒐集観の一部の起源はすでに紀元前に認められるともいえる。蒐集にまつわるこうした歴史的タイム・スパンの広がりという問題も含め、<蒐集の科学>の研究は、とりもなおさず、蒐集する人間たちと彼らの生きた時代が示した認識座標系を探り、さらには、これまでの変化と未来の変化の方向を探る、という「蒐めるという情熱と識知の深層」Epistemics of Collectingの研究 となるといえよう。

先人の蒐集の成果は、博物館、美術館、図書館といった施設や、辞典、全集、アンソロジー、さらには各種アーカイヴなどの形で、私たちの現在を構成し、また規定している。しかしこうしたコレクションも、静止したままではいられない。常に変化を強いられ、また同時に新たな蒐集の形が生み出されているのである。蒐集という営みは、過去にどのようなメカニズムでいかなるヴィジョンを提示してきたのか、その痕跡たる蒐集物は現在にどのような作用を残しているのか、いま行われつつある蒐集はいかなる姿を取りつつあるのか……。歴史、世界のイメージ・記憶の構成としての蒐集とアーカイヴ化によって立ち現れる蒐集物の意味連関、その存立機制をどう解き明かすのか……。こうした問いとともに、蒐集する者(主体)と蒐集される物(者/対象)とが分岐する境界面の歴史的形成と変動、蒐集の世界観に底在する内と外の分岐点と文化の顕在性と潜在性をめぐる相補性という問題設定分析軸も重要となろう(蒐集者たちは各人が自分の文化背景を深層として蒐める、といえる点では全体としては深層の共通性を示すであろうが、それにもかかわらず各人の蒐集とその世界観には、内と外の区分、表〔顕在文化〕と裏〔潜在文化〕に関連して、さまざまな多様性が現れると思われる。蒐集者のなかには当該文化社会における逃避や悪趣味、逸脱が特徴となる蒐集に傾く人々も散見されるが、本年度は、潜在文化にかかわる蒐集についても一部焦点をあてる予定)。

私たちのオムニバス講座では、2001年度「幸福の逆説」、2002年度「リスクの誘惑」に引き続き、過去2年間に渡り「情の技法 I・II」として情を制御する営みに注目してきた。昨年度は「蒐集の科学」の題で、<蒐集>とは「情」が「知」と分かちがたく交錯する中で生まれる営為と位置づけ、ルネッサンス期の美術蒐集、メディチ家コレクション、博物学から自然科学への転換、恐竜の蒐集とアメリカ精神史、「未開」の蒐集、骨董や民芸品の蒐集、精神疾患者の芸術作品の蒐集、ジャポニズム以降の日本物の蒐集にみる西洋とアメリカ、戦争の時代と美術館、国会図書館の蒐集の論理、インターネットの時代の蒐集と分類・辞書の大改訂、人形・オモチャの蒐集、などの話題を扱ってきた。本年度は、この試みをさらに追求することとするが、とくに物に限らず人間に関わる代理物の蒐集、人間の諸経験の蒐集という観点にも広げるなど、扱う蒐集物の範囲を広げ、また、音楽家、実作者、映像資料収集家など、昨年度では扱えなかった分野を広くカバーし、<蒐集の科学II>としての結論を出していきたい。

文学部共通講義として組むこの講義の狙いの背景には、専攻横断的な学際的機運と発想とをこの講義にちりばめたいという担当者たちの願いがある——蒐集の科学を構想し考える際に、17専攻所属の学生がそれぞれの専攻の訓練にもとづきながらも、知見を他専攻の領域までひろげ、専攻を超えたもうひとつの共通軸を形成するきっかけとなればと思う。なお、この講義は、毎回、担当者たちがコーディネターとして塾内塾外の講師を紹介し、その講師が一回かぎり講義、その後、担当者・学生とともに質疑・討論を行うというオムニバスのかたちで進められる——各講師たちとも事前・事後に討議・意見の交換を行い、次の講義の話題へ担当者たちがフィードバックしていくという過程も、この形式には含まれている。文学部共通講義としておこなう特色を十分考慮し、各回講師の選定は、人文社会科学領域全体にわたって——さらには一部自然科学系の講義・発想もとりいれ——バランスよくおこなえるように5人の担当者の意見をすりあわせて準備をおこなった[講師の一部をあげれば、作家・井上雅彦氏(オリジナル・アンソロジー小説の蒐集と編纂)、民俗学者・小泉凡氏(小泉八雲研究:フォークロアの蒐集と編集)、学芸員・松本品子氏、キューレーター・渡部葉子氏(美術館関係の蒐集問題)、アニメデザイナー・小倉信也氏(アニメのコンセプトなど製作関係)]。

参考書:巽孝之ほか編『幸福の逆説』(慶應義塾大学出版会、2005) 

■講義日程
04/11 コーディネーターによるガイダンス
04/18 浜日出夫(文学部:社会学)
   「ジョン・ケージのローリーホーリーオーバーサーカス」
04/25 巽孝之(文学部:米文学)
   「編集の科学」
05/02 休講
05/09 宇沢美子(文学部:米文学)
   「贋作の科学:アメリカ舞台のアジア蒐集1900-1920」
05/16 康芳夫 (プロモ−タ−)
   「虚人魁人——ロマンと怪異・興奮の蒐集行為としてのプロモ−ション」
05/23 前田富士男(文学部:美学・アーカイヴ論)
   「記憶とアーカイヴ」
05/30  【早慶戦のため休講】
06/06 William O. Beeman(ブラウン大学教授:人類学)
   「収集家と人類学者——アメリカ人類学研究にみる蒐集観」
06/13 小倉信也(設定考証・コンセプトデザイン)
   「設定をつくる・コンセプトワーク
   —アニメ(など映像作品)においての『架空世界』の構築について—」
06/20 山本晶(本塾名誉教授:米文学)
   「真贋の諸相」
06/27 渡部葉子(本塾アートセンター助教授)
   「蒐集への挑戦--Dematerialization とCollecting」
07/04 小泉凡(島根女子短期大学:民俗学)
   「フォークロアの蒐集と活用—ラフカディオ・ハーンと柳田國男をめぐって—」
07/11 【補講日】Sujatha Venkatesh (ジュネーヴ在住:インド古典舞踊家)
   「異文化の橋をわたるダンス:舞踊感覚と動きの蒐集」
9/25 岡原正幸(文学部:社会学)
   「‘喜ばしき他者’の蒐集というおぞましさ〜蒐集と展示の政治学」
10/03 井上雅彦(アンソロジスト)
   「異形コレクションの冒険——短篇小説の蒐集・編集・遊戯」 参考文献
10/10 二村ヒトシ(映像作家)
   「エロスの蒐集
   ——21世紀のアダルトビデオの歴史と発展、そして「萌え」と性欲について」
10/17 松本品子(弥生美術館)
   「想い出を集める美術館
   —大正・昭和の挿絵黄金時代・忘れられた挿絵画家たち・学芸員の仕事」参考文献
10/24 石川透(文学部:国文学)
   「日本の古典籍の蒐集について」参考文献
10/31 宮坂敬造(文学部:人間科学)
   「無限・夢幻の退縮——蒐集と呈示/展示における自己不全」
11/07 粂川麻里生(文学部:独文学)
   「ボクシングにおける蒐集の力」参考文献
11/14 西谷拓哉(神戸大学)
   「脚本家・笠原和夫の『仁義なき戦い』
   ——事実の蒐集からフィクションの結晶へ」 参考文献
11/28 大串尚代(文学部:米文学)
   「欲望図鑑——恋を求める少女たち」
12/05 コーディネーターによる中間総括
12/12 金子洋之(文学部:生物学)
   「細胞行動の情報を蒐集する
   ——高次生命現象理解のための細胞行動データベースの作成」
01/09 青柳いづみこ(ピアニスト)
   「青柳瑞穂にみる骨董蒐集の極意
   ——いかにして原価の30万倍の掘り出しをするか」
01/23 学期末試験